このページは、『理不尽な評価に怒りを感じたら読む本』(ダイヤモンド社)を読んでいただいた方だけが読めるページです。本書の番外編としてお楽しみいただければ幸いです。
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書くきっかけ
ダイヤモンド社から執筆依頼があり、営業以外のテーマで面白そうな題材探しのブレスト(話し合いのようなもの)をダイヤモンド社の編集部と半年以上続けていました。その半年の間には、いろいろなテーマが浮かんでは消えということの繰り返しでした。
そうこうしているうちに、ふと頭の中に「評価不満社会」という言葉が浮かんだのです。直感的に「これはタイトルになり得る!」と思いました。私はタイトルに凝るほうなので、印象的なタイトルが思い浮かばないとなかなか筆が進まないのです。脱線するかもしれませんが、私の考えるタイトルは奇抜過ぎるのか、私のオリジナルタイトルのまま出版されることのほうが少ないと言えます。なぜなら、本文は著者が自由にできますが、タイトルはほとんどの出版社が意見を言ってくるからです。角張った意見が会議を経ると丸くなってしまうのと同様、奇抜なタイトルを支持する人は、どこの出版社でも少数です。読者のみなさんは、「・・・力」のように、売れた本のマネをするタイトルがなぜ多いのだろうか、と思っている人は多いと思いますが、それは、そのほうがタイトル会議が通りやすいからです。
よく言われることですが、450万部以上売った『バカの壁』というタイトルが会議による多数意見によって誕生することは絶対なかったでしょう。これは、天才肌の某編集者が考えた通りにタイトルにしたので、世の中に登場できたのです。本書のタイトルも「評価不満社会」が支持されず、ダイヤモンド社からの提案だったのですが、これは、編集部提案にしては面白いと思った数少ないケースでもありました。
話を戻すと、ふと浮かんだ「評価不満社会」というテーマで1冊の本を仕上げる知識を私が持っているかどうか、ということでした。今回は単行本という形式でということだけ先に決まっていたので、最低でも8万文字は必要です。1万文字ぐらいであればどのようなテーマでも書ける自信がありますが、8万文字となると相当な知識がなければ書けるものではありません。まぁ、サラリーマン時代は社員が一万人を超える会社で働いていたので、評価に関する経験だけは豊富だったので、経験で事欠くことはなさそうだということは想定しましたが、経験ばかり書いたのではコンテンツに深みが出ません。やはり、評価についての幅広い見識が必要です。
そこで、自分の見識がどれぐらいなのかを見極めるために、ダイヤモンド社の編集担当とブレストを繰り返した後、すぐさま目次作りを開始し、それぞれの目次で想定される本文を補強するエビデンスをどれだけ私が用意できるかを書き並べていったのです。すると、驚くほど評価についての知識があることに気付きました。特に、サラリーマン時代から評価の“ええかげんさ”に興味があったので、本文にも書いている「2-4の法則」「例外誇張評価」などというのは元々オリジナルで主張してきたことだったのです。そして、専門書を読むと、それらのことが意味することが“評価エラー”という専門用語で分類されていることを知り、逆に驚いたぐらいです。私が、サラリーマン時代から変だと思っていたことがキッチリと学問として研究されていたのです。メインコンテンツはこれだ!と決めてからは、本文の構成作りが面白いほど進みました。
目次が完成して、いよいよ本文の執筆を開始するのですが、やはり大切なのは、第一章の書き出しです。ここが印象強いものでなければ、数ページ進んだところで読者は読む気が萎んでしまいます。本書の本文は2013年の秋から2014年の年明けに掛けてそのほとんどが完成しています。そのときに流行っていたテレビドラマがなんと言っても“倍返し”の半沢直樹でした。私はこのドラマの原作者である池井戸潤氏の著書を乱読し始めていた頃です。その中のある小説が、評価のえこひいきによって人生を狂わされた女子行員の物語だったのです。私はこの原作は「評価不満社会」を見事に表現していると感動すらおぼえていました。第一章の書き始めは、池井戸氏の絶妙なタッチで描かれている小説の抜粋から始めようと決めた瞬間でした。特に、池井戸潤氏の「馬鹿げた話だ。人の将来がそんなあやふやなもので決められてしまうなんて。だけど、それが現実なのだ」という文章は秀逸です。正直、まだまだ未熟な私には書けません。
面白いことに、この第一章で抜粋した物語が、杏主演で視聴率も良かった日本テレビの「花咲舞が黙ってない」というドラマで登場するのですね。ほんの偶然とは言え、ビックリしました。唐木玲という女性名が花咲舞に変わっているだけで、まさしくこの話がドラマで再現されているのです。そういう目で「花咲舞が黙ってない」を見続けると、このドラマそのものが「評価不満」の人々を救い、“ええかげん”な評価で部下を翻弄する上司をこてんぱんにやっつける実に爽快なドラマでした。本書の言いたいことを、見事に表現しているドラマだったと思います。続編がありそうな感じで終わっていたので期待してもいいのではと思います。
私の執筆方法
ちなみに、私の執筆方法をご紹介しますと、まず出版社の編集担当の方とテーマ選びで何度もブレストを繰り返します。執筆というのは8万~10万文字も書かなければならないので、どれだけ強烈に書きたいテーマがあっても、奥行や展開が貧弱になりそうなもの、もしくは一本調子になりそうなものは断念していかなければなりません。したがって、大丈夫そうなテーマを見つけたら、一度目次を作成してみます。そして、目次を読んだだけで興味がそそられるぐらいの面白さがなかったら、また一からテーマ探しです。つまり、それまでの努力は水の泡です。その繰り返しで、ようやく面白い目次が完成したら、いよいよ執筆開始です。すべての文章が自分の知識だけで書けるのであれば一気に書けばいいので、これほど楽なことはないのですが、やはり独りよがりの文章にならないためには、自分の主張や意見が正しいことを証明するための、もしくは補強するためのエビデンスが実は重要なのです。
エビデンスとは、一般的に正しいことが証明されている考え方やデータ、歴史上の事実、著名人や著名本の考え方や言葉などを指します。たとえば、専門書から引用した9つの評価エラーなどがエビデンスに該当します。これを引用することで、私が本文で面白おかしく書いている“ええかげん”な評価エラーが、私の独断と偏見に基づく勝手な意見ではないということを証明する効果があるのです。また、世間を騒がせた「江川卓の空白の一日」事件も人間性を評価することの無謀さを“補強”するために引用したエビデンスと言えます。
実は、執筆で何が大変かと言いますと、このエビデンス探しなのです。目次ができて、書きかけてからなかなかエビデンスが見つからない、ということになれば、その執筆は完成できません。そのような事態を避けるために、目次作りのときに並行して、どのようなエビデンスが用意できるのか、ということを想定しながら目次を作っているのです。ということは、ある程度、博学多識でなければいけません。一番楽なのは編集担当が博学多識であれば、筆者はあまりエビデンス探しで苦労しませんが、現実的には、筆者が自分で探す比重が多いと考えてください。そのために、私の場合であれば、年に最低でも100冊以上は乱読して知識を吸収する努力を怠ることはありません。時には、専門書などを読みながら、「私であれば、ここのところをもっとこのような論理展開にして、わかりやすく且つ面白くするのになぁ」というように想像しながら読書することがよくあります。しかし、私の博学さも大したものではありません。だからいつもコンテンツの深みに苦労しているのだろうと自己分析しています。もう1点、文章を書くときのノウハウがあります。それは、ところどころで魅力的な言葉やフレーズを意識することです。本書で言えば、“ええかげんな評価”、“評価は凶器になる”、“2-4の法則”などがそれに該当します。
なんか、文章が長文でぐちゃぐちゃになってきましたね。本文がある程度できあがったら、ここからがまたひとつの山場を迎えます。それは、出来上がった文章をひととおり読んでみてストーリー展開が退屈するか次へ次へと興味がそそられるかどうかを自問自答してみるのです。そして、不満足な自己採点が少しでも出た場合は、ストーリー展開を練り直します。本書の場合も、何度も壊しては作り直しました。たとえば、「1章→2章→3章→4章→5章→6章」の順番を「1章→5章→3章→2章→4章→6章」という具合に入れ替えてしまうのです。そうすると、文章のつながりがズタズタに分断されるので、それをつなぐために新たなストーリーを入れたりすることで本文全体がより魅力的なものに仕上がっていくようになるのです。
このようにして本文が完成したら、いよいよ初校が出来上がってきます。つまり、印刷された活字でチェックすることになるのです。私は学生時代がいまのようにパソコンではなく印刷物を読む世代だったので、その影響かもしれませんが、初校までの本文はすべてWordで書くのですが、印刷された文章を見ると、まったく違った印象になってしまい、この初校段階で大幅に文章訂正をしてしまう癖があります。つまり、真っ赤な初校ゲラを出版社に返します。このあたりになると「執筆とは格闘技なり」と思えてしまうこともあるぐらいです。
喩えれば、執筆は事業に似ていて、総論と各論を両睨みしなければなりません。全体のロジカルチェックはもちろん大切ですが、ひとつひとつの文章の出来栄えも大切なのです。したがって、初校でもういちど全体の流れを考えながら読んでいるうちに、ここも直したい、そこも直したい、となってしまうのですね。そのようにしてゲラを仕上げている途中で「まえがき(はじめに)」を本格的に書き始めます。「まえがきというぐらいだから最初に書くのでは?」と思う人が多いでしょうが、これは筆者の癖が最も出るところでしょうね。僕は、だいたい全体文章の確定がほぼ見えてきたころに正式に書きます。「まえがき」という名の「あとがき」ですね(笑)。やはり、「まえがき」は印象深い文章でなければなりません。また、スッと読みやすい必要もあります。本文の二倍以上の時間を掛けて文章を仕上げます。そして、その次にようやく「あとがき(おわりに)」ですね。「あとがき」は2~3ページで終わるように、簡潔に書くように心掛けています。
最後の仕上げが書籍タイトルです。僕は他人の二番煎じ的なタイトルはできる限り避けたいほうなので、奇抜なアイデアを出し続けるのですが、奇抜ゆえに同意はなかなか取りにくいものです。大抵が社内編集部会議で賛否両論だとか、強い反対意見が出て、という事態になり、「どこかで聞いたことがあるような・・・」というタイトルで落ち着いたりします。確かに、先行投資をするのは出版社なので、「そのタイトルでは営業部が売りにくいと言っている」とか、「そのタイトルでは社内会議が通らない」と言われてしまうと、「わかりました。それでいきましょう」とついつい言ってしまうことになるのです。まぁ、僕のタイトルセンスも大したことがないので、自信を持って押し通すことができないのも事実なのですが・・・。
ところが、前作の『そんな営業部ではダメになる』(日経プレミアシリーズ)は、めずらしく押し通したタイトルなのですね。すると、楽天ブックスの新書ランキングで第1位を獲得したり、発売一週間で増刷が決まったり、好調に売れているのです。ホント、タイトルは難しいですね。
<まだまだ、続きを書く予定です>